風が強いですね。
そして雨が降ってます。
そんな最悪のコンディションの中
お酒の買い出しに行ってきました。
ちょうど今日大阪で
Rigoくん、Shinyastaさん、MTEDさんによる
「ヘパリゼ会(ex昼呑会)」が行われるという事で
悔しいのでアズマも東京に居ながらにして
参加しよう(気分だけ)と思ったわけです。
でも、なかなか開始スタートの連絡来ないなぁ。
・・じゃ、呑む前に書いちゃおう。
3枚の『STUDIO75』アルバムにおける機材変遷。
第3回。
「MPC」の話。
む・・。
MPCの事は『STUDIO75』だけに関連して
書くのは逆に難しいので
『Small Circle of Friends』のディスコグラフィーも
交えての話。
そしてなるべくシンプルに書きます。
最初に買ったのは
MPC60II
雑誌サンレコで見つけた
横浜(たぶん)の楽器屋さんで
中古を買った(通販)。
1993年か94年の事。
その後
すぐにMPC3000が出た。
ちょっとだけ悔しかった。
買ってすぐに
友達が見て
「何それ?レジ?」
と言われた。
まあデカイ(今考えると)ね。
その時は
容量の問題で
MPC60IIとAkai S1000の組み合わせで
使っていた。
そこにサツキさん所有のE-MU SP1200が
加わった。
シーケンスは全部MPCでやっていた。
なので未だにSP1200で
シーケンスする方法を知らない。
(ま、サツキさんのだし・・)。
そんなセットで
1997年 SCOF2nd『PLATFORM 5』まで作っていた。
1998年
MPC2000を購入。
SCOF3rd『CIRCLE』の頃。
MPC2000とSP1200の組み合わせ。
判りやすいところでは「春手紙」のドラムはSPの音。
1999年
わずか一年後。
MPC2000xlを購入。
SCOF4th『Avenue』の頃。
MPC2000は優しいヒトに売りました。
ありがとう。
この辺からSP1200は使わず
MPC2000xlだけで制作するようになる。
そして
2001年
SCOF5th『Souvenir』の頃には
コンピュータ・・
所謂「DAW」を始めたので
MPC2000xlとLogicという組み合わせ。
その組み合わせで
『STUDIO75』の1st『HAND』まで
作っていました。
だからMPC2000xl時代は長かった。
ライヴでも使っていたし。
とてもバランスが取れてて
使いやすい機種だと今も思います。
でも
2007年
MPC2500購入。
タケイフミラ.の1st『Music & His Story』
と
『STUDIO75』の2nd『BRAIN』
を制作。
MPC2500・・結構苦労した。
自分が買ったモノがハズレだったのか
バグが多かった。
それに
ジョグダイヤルの「感じ」が気にくわない。
2000xlに戻ろうかとなんども思った。
と
そんな時に
ライヴ用、持ち運び用、
つまり2500のサブ機的目的で
MPC1000購入。
それが
2008年の事。
MPC1000・・素晴らしい。
サイズ、ジョグダイヤルの感じ、OS。
バランスが取れている。
なんでもっと早く気づかなかったのかと
悔やむほどに。
だってMPC1000のリリース2004年だもの。
弱点はスイッチ、ジョグダイヤルがイカレやすい。
でも
それでもイイ。
何度も修理に出した。
そして
現在使ってるMPC1000は4台目。
中古だけど。
さて
何故「MPC」を使い続けるのか?
音か?
というと
実はよく判らない。
「音が太い」とかよく言われてるけど
よく判らない。
じゃあ何処が良いのか
というと
「シーケンサー」
の
使いやすさだと思います。
単純に慣れてるっていうのもあるけど。
それがなかなか
コンピュータベースの
NI Maschineとかに行けない理由。
でも
これ
MPC STUDIO
結構理想的。
サイズも。
MIDI i/oのブレイクアウトケーブル付きだし。
・・・。
まずは
楽器屋さんで触りまくろう。
そして
使い始めたヒトを遠目から見てみよう。
話はそれからだ。
というわけで
HAND~BRAIN~Eardrum にみる機材変遷
その3「MPC」編
終わります。
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さぁて、呑もっ