A_偶然だけど、色のついてないハコからイベント

やってくれって言われたから、
自由に出来たんだと思うね。
逆に音楽のラインが出来てるハコは敬遠してたって
いうのもあるけど。
S_plasticで今の”Our Songs”が確立した感じですか?
A_そうだね。plasticでやるようになってからだね。
ホントにやりたいことを発想出来るようになった。
で、クラムボンや今のハナレグミなんかも
“この日、ココだけの音”って発想で積極的に
“Our Songs”に参加してくれて、
いやあ~、出合い頭の音楽と音楽のガチンコ勝負!
そんなのが毎月やって来る、、
シンドかったけど楽しかったなあ~。
S_plasticでは何年位までやったんですか?
A_99年だったかな?クラムボンが”Our Songs”なんて
曲を作ってくれちゃって、、、
で、もうこれ以降”Our Songs”って名前は照れ臭いかな?
なんてね。ひと仕事終わったって感じでね。
それにもっと唄そのものの
“春夏秋冬”ってイベントを始めたコトもあって。
そっちのほうがより音楽が生まれる瞬間に
立ち会える、てか、俺にしか出来ない仕事って感じで。
“春夏秋冬”始めたらサ、
俺にとってはホント凄いヤツ等が
集まって来ちゃって・・・まあ、
まったく手の焼けるって部分でも凄いんだけど。
S_オープンマイクでしたもんね。
小池アミイゴ4

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